
ベルリンから帰ってきてどういうわけか連日飲めや歌えや遊べやのような状態で、この一週間の来客は5人で、それでつまり普段からぺラぺラのサイフは単なる布の塊と化して、春の陽気なんてものはただ恨めしいだけのこの部屋の中。プレッツェルすら買えない。
最後の外出はフライオットーの鳥かご目当てにミュンヘンの動物園。
2年前に行って以来、どうも動物園と言う場所が好きじゃなくて、今回も鳥かご以外は見ないくらいの心持ちで行ったけれど、思ったより楽しかった。鳥かごも良かった。俺ミュンヘン一は鳥かごへと。
動物園。
怠惰な動物大好きだけど、怠惰な人間も大好きだけど、動物園のアンニュイ感を感じたときだけは、動物愛護団体に仮入団した気分になる。
ただ食われるために生まれてくる動物もいるくらいだから、ただ見られるために生まれてくる動物の方がまだマシっちゃあマシか。
いつか月の輪熊になりたいと願う自分ですが、やっぱ野生がいーよな。石狩川で鮭取りながらエゾロック参戦する月の輪熊ぐらいがいーわ。鮭を川で取らずして死んでいく月の輪熊を見ると心苦しくて仕方ない。ミュンヘンの動物園にはいなかったがな。
そんなわけで、動物園来ると罪悪感でいっぱいになるのは当然なわけで。でも、誰に謝ればとか無いしね。そう思う俺だって獏見て超可愛いとか叫んでたしね。でも、思い出の中のただ楽しいだけの動物園って言うのはもう無いね。罪悪感と、バンビ超可愛ぇぇ!が同居するという矛盾が常に。
ミュンヘンの動物園の計画はそこから始まってるように思う。イザール川から直接水をひいて小さな小川を巡らせて、元々あったであろう森の中にそのまま動物園を突っ込んでた。檻で囲い込むんじゃなくて、水とそこから生まれる心理的な距離で動物を囲っている。日本で見てきた動物園とは段違いの心理的な開放感があった。檻が無くなることで、見る側の罪悪感がすこぶる軽減してる。あくまで、見る側ってことが肝なので、動物からすれば檻があろうが水があろうが変わらんのかもしれんけれど、少なくとも森と小川で区切られたエリアの動物達は見つけるのも難しいくらいで、展示品といった趣は無かった。
一押しは小さい鹿らしき動物。
続いて、
とりかご。
ミカちゃん曰く、フライオットーと動物は相性がいい。その通りだった。檻はかごに、かごはフライオットーに。最高でした。
多分自分の中では動物園って言う場所との関係もあったんだろうけど、正直な話、ヨーロッパに来て一番感動してしまった。悶えるを通り越して、打ち震えるね。
柱は木々の間に埋もれて、ワイヤーは空に消えてた。影を落とすでも無く、光を受けてただ輝いてた。檻だってことも忘れそうなくらいで。確かに囲ってしまってはいるんだけど、囲われた空間と呼べるような場所では無かった。外と中とではずいぶんと印象が変わった。
まー、そうは言っても結局人間様の意見なんで、鳥さん的には檻には変わらんですね。如何に人様のエゴを減らすか。動物園だけじゃないかなこんなん。それだけにやはり異常な場所、動物園。
思い出した。二年前に動物園に行ったのは、心理学の講義のためだった。
それでも、いい動物園だとは思う。河川敷でピクニックしてる人もいたりして、凄くいい。
今日、すっげー書いた俺。